明治・大正期には、写真による撮影と印刷技術が広く普及するまで、風景を銅版画や石版画によって精緻に描写した鳥観図がさかんに製作されていた。明治39年の「宇都宮市真景図」もその一つで、当時の宇都宮市街地の様子を鳥観図の手法を用いて銅版画に克明に描き出している。ここであえて「真景図」としているのは、想像ではなく、実際の景観の様子を忠実に表現したものであることを意味している。画工の手塚雲乗らが、宇都宮市街地の「真景」を表現するために設定した構図は、南東上空から北西方向を俯瞰する軸線であった。すなわち、市街地中心部から南東方向の上空から眼下に田川を見下ろすとともに、市街地中心部の左右に宇都宮城跡と宇都宮二荒山神社を配置し、地平線の近景には大谷、遠景には日光連山の稜線を描く構図である。言うまでもなく、宇都宮の市街地の成立には、宇都宮城と宇都宮二荒山神社が歴史的に深くかかわっている。また、宇都宮市中心部から北西方向には大谷があり、さらにその先は日光連山に接続していて、こうした地理的関係が、宇都宮の気候風土に関係していることもよく知られている。「宇都宮市真景図」には、宇都宮の成り立ちを理解するための基本が、実によく反映されていると思う。
それでは、現代において実用できる科学技術を用いて、宇都宮から日光にかけての地理的関係を見てみよう。下図は、欧州宇宙機関(ESA)が運用する地球観測衛星センチネル2(Sentinel-2)が、高度786㎞の宇宙空間より、宇都宮から日光にかけての広域をとらえた衛星画像である。2019年11月9日の良く晴れた日中に観測された画像には、雲もほとんどなく、地表の様子がきれいに写されている。鮮やかな緑色は、植物に覆われた森林や草原で、日光連山の山麓では、冬を目前にして落葉が進んでいる様子がわかる。一方で灰色は、道路や建築物等の人工構造物が密集した市街地や、鬼怒川の河原を示している。宇都宮市街地の周辺に位置する大谷地区では、断片的でもまとまった緑地が分布している様子が伺える。ここで、前述した「宇都宮市真景図」で設定された構図に倣って、宇都宮市街地の中心部から北西方向に赤い破線を引いてみる。すると、宇都宮市街地の中心部から大谷地区までは、直線距離でおよそ7㎞あり、さらにその先には古賀志山があり、40㎞先には日光連山の男体山が位置しており、これらは中心部から見ると、北西の方角に一直線上に並んでいることがわかる。
欧州宇宙機関(ESA)が運用する地球観測衛星Sentinel-2による衛星画像(2019年11月9日観測)を加工して作成。大谷地区は、宇都宮市街地中心部から北西方面に位置し、その後背には古賀志山地、日光連山の男体山が一直線に並ぶ。